茶道一期一会经典语录
在日本,对茶道精神的解释有和敬清寂,一期一会,独坐观念三条
茶道的真谛与精髓在几位创始大师之后就基本确定了下来,并且沿袭多年不再有大的变化,而前文述及茶道建立的过程中即已大致上提到了茶道的独具魅力的精神。这里再多作一些说明。
在日本,最常见的对茶道精神的解释有三条:和敬清寂;一期一会;独坐观念。
“和敬清寂”作为茶道四规,已为众人熟悉,四者统一在“无”的思想之下,强调了“本来无一物”的宗旨。和睦、礼节、洁净、恬静这四种美好的状态统摄在茶道中,又导生出各种茶道生活中的规则和现象。
“一期一会”的观念来自佛教的无常观,人生、世事皆无常,它督促人们珍惜每分每秒,认真对待每一件大小事,在生的瞬间尽全力去绽放,在茶道上则是宾主间抱着“一生只得一次”的态度去共享片刻愉悦,这种紧张感又往往催生出许多艺术的火花。
“独坐观念”指的是在客人走后,独自坐在茶室里静静地回味今日的茶事,是那样的独一无二,一时间茫然却有意足。
以上这些只是在茶学界总结出来的,而真正的茶道所蕴含的禅理又岂能言尽。可以说,日本茶道将禅茶的风骨最大程度地展现于世,一次真正的茶会不膏为一场别样的禅门修行,而那些谨遵禅法的茶人们也可称为在家的僧人。
而作为一种极富特色的民俗文化事象,日本茶道的功能已经上升到了审美的层面,更是以审美的精神发散到日本人生活哲学的许多方面,形成一种“民俗宗教”,这只是一个不那么精确的概念,但是无疑,茶道取得了宗教般的地位与力量,甚至吸引了许多外国人的追随(左图为中国留学生在日本茶道馆内学习茶道)。日本茶道的美,集中全力打破人们对世俗普通意义的美的依赖,创造出了一种“无”的美,同时获得了艺术上的无限可能性,打破了“对称”,开始了对“不对称的美”的崇拜,满足于“不足”,在另外一个维度上做出了肯定。
可以说,日本茶道对中国禅茶的接续是“全新”的,它得到了禅门的清规,(道元的《永平清规》),奠定了茶道的仪式感,得到了中国的茶种,在日本生根开花,得到了禅的精髓,本来无一物,但是有一个最大的创造—日本茶道发觉了一种独特的—“美”。这是中国古代禅茶所忽略的。这也是茶道从禅茶而出,却又不拘于“禅”,把茶推到了最高处,再以“茶”的本身辐射出一种宗教魅力,激活了一种“生活禅”,最终升格成为“道”。
武夷山本是佛教名山之一,寺院众多,尤以天心永乐禅寺声名最盛,因此禅茶文化的代表非其莫属。但是纵观武夷山禅茶文化大事记,可以说在宋以后,武夷山的禅茶文化体现并不突出,但是在茶叶学上取得了杰出的成果,成为一个产茶重镇。而且尤其要注意的一点是,武夷山所产之茶,和武夷山寺院所产之茶,二者不可混淆。前文已提到,在宋代,古建州一带就已经是贡茶产地,历史悠久,本文所探讨的“禅茶”单是从武夷山诸禅寺角度出发。
武夷岩茶属六大茶类(红茶、绿茶、青茶、黄茶、白茶、黑茶)之一的青茶类,俗称“乌龙茶”,是半发酵茶,具有“三红七绿”(三分红边,七分绿)特点。
武夷岩茶经历代变迁,种类繁多,品质各异。采自正岩的称“奇种”,采自偏岩的称“名种”,在正岩中选择部分优良茶树单株采制的,品质在奇种之上的,称“单丛”。名岩专选一二株品质特优的茶树单株采制的,称“名丛”。著名的四大名丛有大红袍、铁罗汉、白鸡冠、水金龟。
如今,武夷岩茶最大宗,也拥有优异品质的是“肉桂”、“水仙”两个最大品种,肉桂浓郁的花果香,水仙茶汤滋味甘美,都得到茶人的一致赞誉。而最富盛名的“大红袍”,六株母树(最早是三棵,后三棵是1982年插枝而生)还安静地在九龙案的石壁上接受世人的惊奇目光,更多的成了一种武夷岩茶的图腾,而且从民国时代起,母树就受到了当局严格的看守与保护,披上了神秘的色彩,这些茶树曾经都是天心永乐禅寺的寺产,也是先僧手载。可见武夷禅茶,从开始就与禅宗的发展息息相关。
四规(しき)〔和敬清寂(わけいせいじゃく)〕この4つの文字の中には、すべてのお茶の心がこめられているといわれています。「和(わ)」とは、お互いに心を开いて仲良くするということです。「敬(けい)」とは、尊敬(そんけい)の敬で、お互いに敬(うやま)いあうという意味です。 「清(せい)」とは、清(きよ)らかという意味ですが、目に见えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということです。「寂(じゃく)」とは、どんなときにも动じない心です。お茶を饮むとき、お点前(てまえ)をするとき、また、お客様になったとき、お招(まね)きしたときなどに、この「和敬清寂(わけいせいじゃく)」ということばを思い出し、おけいこに励(はげ)みましょう。 和敬清寂と一期一会李静芳--------------------------------------------------------------------------------日本の古都としての京都で留学している私は、茶道の稽古に周に一回通っています。 茶道の稽古を通して「私の见た日本」は、お茶の精神を実现して、茶道の文化と相互に辉いて「和敬清寂」、「一期一会」な日本です。茶道は建筑、美术、书道、哲学、禅など日本の风土が育んできた文化的な结晶の一つといえるものだと思います。 茶道が精神面に反映したのは、茶道の大成者千利休(1522-1591)が茶道のあり方について教えた言叶である四规「和敬清寂」と井伊直弼(1815-1860)が茶汤一会集の中に教えた「一期一会」だと思います。(一)和敬清寂四规「和敬清寂」はお茶の心として见られています。 四规の内容を简単に说明すると、「お互い仲良く(和)敬いあって(敬)、见た目だけでなく心も清らかに(清)何事にも动じない心(寂)を持ちなさい」という意味です。更に详しく说明すると、和は平和の和、敬は尊敬の敬、清は清めるという精神、寂は何事にも动じない心を表します。 また、寂の実现は和、敬、清を実现した后にしかできません。これから、私が见た「和敬清寂」な日本について说明します。まず、和は人间と人间及び人间と自然の间の平和です。例えば、京都で行われるいろいろな祭事や祭りの目的は自然と人间の平和共存を祈ることです。 その中で、毎年5月15日に行われる葵祭は代表的な一例だと思います。葵祭の起源は、今から约1400年前の钦明天皇の西暦567年にさかのぼります。その时、日本国内は风雨がはげしく、五谷が実らなかったので、祭事を通して、风雨がおさまり、また五谷が豊かに実って国民も安泰になるように祈ったのです。 他にも、毎年5、6月には、京都の町中を歩いている时、店の门前によく“子育て中、头上注意”などのポスター或いは掲示を见かけます。これは、店主と、子を育てる燕との平和共存のシンボルと扱えるいい例だと思います。大体、私の国では、このように店の出入り口の上の屋根に巣があるという光景は见られません。 大分、このように店の出入り口に筑かれる巣が商売を妨げるという原因で、见つかり次第取られてしまいます。従って、このような人间と燕との平和共存の光景に、特に深く印象付けられました。上述の二例とも人间と自然との平和を求める実例だと思います。次に、尊敬の敬について。 日本では伝统的に目上の人に対して尊敬するということが大事です。日本の家庭教育が“敬い”を重视し、こういう家庭教育に基づいて、他人を尊敬するという躾を身に付けたのです。これが职场に反映され、年功序列の制度が作り出されたのだと思います。またこれが日常生活に反映された结果、ドライバーは大体いつも自転车や歩いている人に道を譲り、自転车同士もよく譲り合います。 これは私にとって、日本と自分の国との大きな相违点だと感じることです。母国では、ドライバーは大体自分のことを第一に考えます。それゆえ、交通信号をちゃんと守らない人がすくなくありません。ましてや、自転车や歩いている人に道を譲ることはとても珍しいことです。 だから、日本へ留学に来たばかりのころ、自転车にるときはいつもドライバーたちが道を譲ってくれることに戸惑っていました。结局、両方が止まったままという场面のあと、むこうの合図で、自分が先に通ってよいということがわかりました。上述のように、日本の社会は敬に基づいて筑かれた社会と言ってもよいと思います。 清については、清は外(物质面)と中(精神面)を清めることだと思います。外を清めるということから见ると、日本の家々では大体玄関で靴を脱いで家に上がります。床もきれいに拭いて、これが日本のお寺に上がるときも同じように靴を脱がなければなりません。 私の国にも仏教の寺があります、でも普通拝観する时に靴を脱ぐことはほとんどありません。だから、日本のこういう独特な现象は多分清める意识と関系がないとは言えないと思います。次に、心を清めるということに関して。日本特有のいろいろな武道、例えば、相扑、弓道や合気道などでもよく清めることが大切に行われます。 相扑の塩まき、弓道や合気道の正座などは心を清めることを反映する仪式だと思います。これらのように、外と中を清めるという意识が日本の生活や文化に反映されているのだと思います。寂は和、敬、清を実现した后のみに実现される、何事があっても动じない心を表します。 これまで述べてきたように、京都は人间や自然の平和共存、人々同士の相互尊敬や物质、精神面の清めの下で、何事があっても动じない、侘び寂びの都となりました。このように、ほかの大都市と违って、「寂」の特质があるからこそ、毎年大势の観光客が引き付けられて、京都を访れます。 多分、彼たちはこの「和敬清寂」な都で、落ち着いた生活を通して、リフレッシュできると思うのでしょう。私も、このような「和敬清寂」な京都の留学生活を毎日満吃しながら、心の落ち着きを感じることができました。これは多分周りの雰囲気や人々とのふれあいの影响だと思います。 上述のように、「私の见た日本」は茶道の四规「和敬清寂」の精神が実现する日本です。その他に私は、茶道の「一期一会」の精神が実现する日本も见ることができました。(二)一期一会「一期一会」とは、一生にただ一度の出会いを大切にしなさいという意味です。 茶事の时、主人と客は利休七则「茶は服のよきように点て」「炭は汤の沸くように置き」「冬は暖かに夏は凉しく」「花は野の花のように生け」「刻限は早めに」「降らずとも雨の用意」「相客に心せよ」に従って、お互いの出会いを大切にします。主人は床の间に饰る挂け轴や花、茶碗などの道具を心込めて用意します。 一方、客はそれらのものから主人のもてなしの心を思い、感谢の気持ちを持つのです。初めてお茶の先生から「一期一会」と言う话を闻いたとき、私はこの「一期一会」の意味がよく理解できませんでした。私は、茶事では何度も同じ人と会う机会があるのだから、「一期一会」ではないはずだと思いました。 その后、先生から毎度の茶事では亭主やお客が同じでも、その茶事を行うときの天気やお茶の道具や露地、庭の景色なども全て同じというわけではないから、毎度の茶事に対してはいつも「一期一会」の気持ちを大切にするのだという返事をいただきました。その后から、私も日本での生活の中で、だんだん「一期一会」の真义がわかるようになってきました。 例えば、日本の制品、交通や案内システム、店や旅馆などの接客や、そして自分のホームステイの経験からわかるようになりました。先ず、日本の制品の面から见ると、日本では品质や使いやすさなどの高度な関心の下で、すばらしい制品が作られています。 その中で代表的なのは日本の自动车や电子関连制品だと思います。日本の自动车は省エネルギーで高性能な自动车が开発され続けています。性能、値段とも消费者の立场からよく考虑されるから、世界中で売り上げがどんどん伸びています。电子関连制品に関して言うと、日本はかつてから、电子制品の王国と言われています。 近年にも日本の携帯电话のいろいろな便利な机能や操作などが、他の国にとって学习の対象になりました。次に、日本の交通や案内システムから见ます。日本の交通や案内などの标示は外国人に対しても分かりやすいと思います。各种の地図や案内用パンフレットがいつも駅や観光案内所に揃っています。 駅构内やプラットホームでも时刻表やいろいろな印がはっきりと、わかりやすく书かれています。电车にるときもちゃんと放送を通して、お客にり换えの案内や次の駅の情报などを伝えています。また、日本の电车が时刻に遅れることがあまりないという点も、大切に接客することの一つの表现だと思います。 そして、日本の店や旅馆などの接客について。日本の店で买い物する时はいつも店の主人がやさしく说明してくださいます。买いもの自体も客自身の判断にまかされ、强引に买わせるということは殆んどありません。また、日本の旅馆については、特に温泉旅馆など和式旅馆が世界各地の旅馆と比べてもっとも特徴的なのは、女中などの亲切な案内や部屋食サービスなどです。 女中が亲切に食事の支度をしたり、食べ物の说明をしたりしてくれます。これは日本の文化や食文化にあまり详しくない自分にとって、本当に役にたち、楽しく食事を过ごすことができました。このような「一期一会」の気持ちで、お客を大切にもてなすからこそ、毎年世界各地の観光客が日本を访れるのだと思います。 以上の事例から见ると、生活のいろいろな面で、日本の生产メーカー、サービス业などが皆、潜在意识として「一期一会」の気持ちで、お客や人々の出会いを大切にしていることにほかならないということがわかります。最后に、私はまた、ホームステイの経験を通して、ホストの「一期一会」を大切にする気持ちを体験しました。 ホストの家族との初対面のときから、家族の人は普通の会话を通して、ホームステイの当日の食事やお风吕などを准备します。例えば、日本の生活には惯れましたか、日本の食事はどうですか、いつもシャワーあるいはお风吕に入りますかなどという话题です。会话するときの自分は全く気にしなかったのですが、后で考えるとホストの家族は本当に自分のホームステイを大切にもてなしてくれたのだという気がしました。 そして、ホストの家族も忙しい中、いろいろ日本の风土や习惯を绍介、案内してくれました。自分の町のいろいろな所に连れて行ってくれました。その中の多くは、多分彼等が何回も行ったところだと思います。でも、彼等もまた情热いっぱいに私にいろいろな说明をしてくれました。 それは、たぶん彼等が人々に対していつも「一期一会」の気持ちで大切にするからなのだと思いました。ホスト家族のこのような热意の影响で、自分もこういう「一期一会」の大切さがわかるようになりました。このような、日本の人々の生活の中から実现されるお茶の「一期一会」は留学生の自分にとって、留学生活の中で一番の本当に忘れられないいい思い出を作り出してくれました。 そしてまた、自分の一生の宝になると思います。以上のように、私が知った日本は、茶室の中での稽古で习った「和敬清寂」、「一期一会」の日本文化と、日常生活を通して认识した「和敬清寂」、「一期一会」の日本の生活を両方合わせて成り立っています。 従って、「私の见た日本」は茶道の四规「和敬清寂」、「一期一会」の精神が実现された、辉いている日本です。